どうしてこんなにも違う?絵本「大きな木」のさまざまな感想

『大きな木』という絵本はご存知でしょうか。

 

世界中で子供から大人まで
幅広い年齢層で親しまれている

 

有名な絵本の一冊です。

 

世界約30カ国で翻訳、発売されています。

 
 

 
 

大きな木は1964年に発行された
アメリカの作家

 

シェル・シルヴァスタインによる絵本です。

 

現題はThe Giving Tree.といい、
緑色の表紙に

 

1本の大きな木の下に男の子がいるという、

 

もしかすると1度は書店で
見かけたことがあるかもしれませんね。

 

日本語翻訳版は1967年に篠崎書店から発売された
ほんだきんいちろう氏によるものと、

 

2010年にあすなろ書房より発売された
村上春樹氏によるものがあります。

 

それぞれの翻訳内容が若干異なることから

 

絵本好きの間でも
多くの物議がなされている絵本でもありますが、

 

筆者の率直な感想は、

 

前者は訳者の味付けが強い印象、

 

後者は英語を素直に翻訳内容がしたものと
感じています。

 

中学生の英語の教科書にも
採用されているこの絵本は、

 

翻訳例として参考とするならば

 

村上春樹氏が翻訳されたものを
参考とするのが良いのではないでしょうか。

 

今回はこの『大きな木』を読んでの感想を
一般意見も踏まえながら
読み進めていきたいと思います。

 
 

絵本「大きな木」 の一般的な感想

 
 

『大きな木』は読み手の受け取り方により

 

大きく読み終わった後の感想が
異なります。

 

年齢、性別、自分が置かれた環境、
様々な要因によっても左右されるようです。

 

時には同じ人が読んでも
その時々で感想が変わるようです。

 

『大きな木』の大まかなあらすじは
以下の通りです。

 
 

昔、りんごの木があって、
かわいいちびっこと仲良しでした。

 

ちびっこは木と遊び、木が大好きで、
だから木もとてもうれしかったのです。

 

時は流れ、ちびっこだったぼうやは
成長して大人になっていき、

 

木に会いに来なくなります。

 

ある日、大きくなったぼうやが
木のところへやってきます。

 

木は昔のように遊んでおいきと
言いますが、
ぼうやは言います。

 

「かいものが してみたい。

 

だから おかねが ほしいんだ。
おこづかいを くれるかい。」

 

木は困りましたが、
りんごの実をすべて与えます。

 

大人になったぼうやは家を欲しがり、
木はその枝を与えます。

 

年老いたぼうやは船を欲しがり、
木はついにその幹を与え、切り株になってしまいます・・・

 

出典:絵本ナビ

 

この本を読んだ感想をネットで検索すると、

 

木は本当に幸せだったのか

 

という部分に焦点が当てられています。

 

自らの体(木)を切り刻みながら、
最後は切り株になってしまって

 

本当にそれで幸せだったのか。

 

答えは当然のことながら幸せだった、
幸せではなかったという2者に分かれます。

 

前者の意見を支持する人達の多くは、
無償の愛を主張します。

 

ここに面白い調査結果があります。

 

日本、韓国、イギリス、スウェーデンの子供達に
この本を読んだ後に、

 

木は本当に幸せだったかという質問を
投げかけたところ、

 

日本以外の3カ国の子供達は

 

「木は幸せだった」

 

と答えたということです。

 
 

絵本 大きな木 感想
引用元:https://www.flickr.com/photos/

 
 

それに対し日本の子供達は
絵本の中で繰り返される

 

「きは それで うれしかった。」

 

というフレーズに少しずつ変化を付けて
理解されているという調査結果でした。

 

Happyという言葉をそのまま捉えるか、
その言葉の背後に隠された心を読み取るか

 

という部分で国民性の差が
表れているのかもしれません。

 

また重要となるのが
この絵本の最大のフレーズでもある絵本終盤の

 

「きは それで うれしかった。
だけど それは ほんとうかな。」
(ほんだきんいちろう訳)、

 

「それで きは しあわせに…
なんてなれませんよね」
(村上春樹訳)、

 

「And the tree was happy…
but not really.」(原文)

 

という1文の訳し方です。

 

幸せだったかと問われた時に、
ほんだきんいちろう氏の本であると

 

そこにはまだ幸せだったという
含みも残されていますが、

 

村上春樹氏の本であると

 

幸せではなかったという印象が
強く残るようにも感じられます。

 

原文で見てみると、寂しさはあるけれども
Happyだったという捉え方になります。

 

とても難しいですが、親として
子供のために何かをしてあげられたという喜びと、

 

自分ができることはこれで最後である
という寂しさを表現していると思います。

 

この最後の1文が
実は木がHappyでは無かった

 

という捉え方をするか否かについては
次回お話ししたいと思います。

 

国民性の違いや、
性格の違いでここまで捉え方が変わる絵本も珍しく、

 

この本を通じて各々の捉え方についての
意見交換などにもしたら

 

楽しいかもしれませんね。
 
 

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